日本に和服があるように、中国にも民族衣装があります。
真っ先に思い浮かべるのは、女性が着るチャイナドレスでしょう。
体のラインにピタッとしたチャイナドレスは、とても妖艶で男性の目を釘付けにさせます。
このチャイナドレスは、中国語で「旗袍」(チーパオ)と言い、“旗の服”という意味があります。
一体なぜ、“旗”が出てくるのでしょうか。その理由を知るには、歴史的背景を紐解く必要があります。実はこれ、漢民族ではなく、満州族の民族衣装だったんです。
満州族は、元々は草原に住む騎馬民族。戦争のときは旗を掲げて馬を駆っていました。
中国最後の王朝である「清」は、現在の東北地方に住む異民族「満州族」によって建国されました。
軍人は「旗人」と呼ばれ、八つの組織「八旗」によって、軍事や政治が行われていました。そして、彼らの着ている服は、「旗人の着る服」という意味で「旗袍」と呼ばれていました。
騎馬民族なので女性も馬に乗って移動します。そのとき脚を横に出して、前からの風を防ぐためにスリットが付けられました。チャイナドレスの大きな特徴であるスリットは、これが由来。
チラッと見える生足がチャイナドレスの魅力ですが、そういう理由があったんですね。
そのうち漢民族も旗袍を着るようになり、結婚用の衣装として流行しました。
辛亥革命で清朝が倒れ中華民国になると、民族意識が高まり、洋服を旗袍風に改良したデザインが1920年代半ばに登場します。
これが、現在の一般的なチャイナドレスの源流と考えられています。
一時は「チャイナドレス」は批判の対象にもなった
時代が下ると、中国共産党による中華人民共和国が誕生。1966年からは毛沢東による文化大革命が始まり、さまざまな弾圧が行われます。
チャイナドレスも「外国に媚びた服装」として批判の対象にされ、一気に下火になります。
それでも、毛沢東の死後、鄧小平が実権を掌握し1978年より改革開放が開始されると、チャイナドレスを着たコンパニオンが公式イベントに登場するようになり、少しずつ復権。
現在では、パーティドレスとして着用されることが多くなっています。
さて、以上見てきたように、チャイナドレスは「中国人の民族衣装」というより、「漢民族の民族衣装」といえます。中国には56の少数民族がおり、彼らには独自の民族衣装があります。
貴州省に住むトン族の民族衣装は海外での評価も高く写真集などでもよく見かけます。
その他、雲南省、広西チワン族自治区、新疆ウイグル自治区、チベット自治区などにも多くの少数民族が住んでいます。どれも色鮮やかですばらしい衣装です。
これらの地域はツアー旅行が少ないですが、中国の別の一面が見られるのでぜひ訪れてほしいですね。
深センの「中国民俗文化村」
また、一気に56の少数民族について知ることができる便利なテーマパークもあります。深センにある「中国民俗文化村」です。各民族の家には、民族衣装をまとった説明員や土産物スタッフがおり、文化や歴史などいろんなことを紹介してくれます。
チャイナドレスの源流となった満州族の衣装も見ることができます。教科書に登場する清朝貴族風の衣装で、今のチャイナドレスとはかなり異なっていることがわかります。
なお、大型ステージでは、民族舞踊や民族音楽などのショーも行われます。きっと中国の奥深さを体験できるでしょう。